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マーケティング論文紹介

待遇改善では不十分。感情労働の「接客疲れ」は企業文化で解決すべき

日本でも2024年12月に企業に対して、カスタマーハラスメント対策の義務化方針が決定されるなど、昨今、カスタマーハラスメントによる従業員の疲弊は社会問題化している。
とりわけ接客業において、従業員の感情労働(感情制御が労働内容に不可欠な要素となっており、かつ適切・不適切な感情の種別がルールとなっている労働)による疲弊は深刻な問題だ。お客様と接するサービス従事者は、常に笑顔で心地よいサービスを提供するために感情をコントロールせねばならず、ストレスを抱えがちになる。「お客様は神様」という言葉があるように、特に日本では顧客至上主義が強く、従業員が理不尽な要求に耐えなければならない場面も少なくない。
この問題は個人や現場チームの努力だけでは解決が難しいのが現状だ。では、企業としてどのように対処すればいいのか。シンガポールの南洋理工大学 南洋ビジネススクール ビジネス学部 マーケティング部門のCayla准教授らの論文『感情的なエネルギー: 顧客とのやり取りがサービス従業員を活性化するとき1』によれば、経営者が適切に介入することで、従業員の活性化と顧客満足を両立できる可能性があるという。

感情労働を ‘負担’ から ‘機会’ へ

「感情労働」とは、従業員が自分の感情をコントロールし、成果を得るために特定の感情表現を見せる必要がある仕事を指す。例えば接客業では、内心で怒りや悲しみを感じていても、顧客との円滑なコミュニケーションを実現し、満足を勝ち取るために、表面的には笑顔を保ち、冷静に対応することが求められる。従来の研究では、この感情の抑制や演技は、従業員の精神的なエネルギーを消耗させ、大きな負担を強いることが指摘されている。
しかし、Caylaらの先の論文は、この「感情労働」とメンタルヘルスへの影響に新たな視点を加えている。彼らの調査によると、サービス従業員は、顧客との交流で単に疲れ果ててしまうのではなく、逆に元気をもらったり、励まされたりすることもあるという。
調査は、エスノグラフィー*を用いて、フランスの会員制リゾート施設「クラブメッド」で行われた。クラブメッドは、一般的なホテルやリゾートとは異なり、従業員と顧客が一緒に歌やダンス、スポーツを楽しんだりすることで知られている。Caylaらは、このような環境下で、従業員の感情がどのように変化するかを詳しく観察している。

* エスノグラフィー:研究者が対象集団に長期間入り込み、その集団の行動、信念、習慣を詳細に観察・記録する手法

例えば、毎晩行われる「クレイジーサイン」というダンスでは、従業員と顧客が一緒になって踊り、高揚感を分かち合う。このような感情的な活力や充実感のことを研究チームは「感情エネルギー」と呼び、調査結果をもとに、それがどのように生まれるかを分析している。その結果、顧客との交流が従業員にとってプラスになるには、「ある条件」が存在することが解明された。

従業員の地位と自律性が「感情エネルギー」を変える

クラブメッドの事例研究によれば、「感情エネルギー」に大きな影響を与えるのは、従業員の「地位」と「自律性」だという。「地位」とは、組織内での序列や立場を指し、地位が低い従業員ほど顧客からの理不尽な要求やクレームを受けやすく、感情的な負担が大きくなる傾向がある。一方、「自律性」とは、仕事の進め方や意思決定において、どれだけ自分の裁量が認められているかということだ。自律性が低い仕事では、マニュアル通りの対応しか許されず、顧客の多様なニーズに対応しづらいため、従業員はストレスを感じやすくなる。

さらにクラブメッドは、この「感情エネルギー」を高めるという点で、「地位」と「自律性」に関して、とても有効な対応をしている、とCaylaらは指摘する。論文では、その裏付けとして、次のような従業員の証言を引用している。

地位の向上:自信と喜びの源泉

ライフガードのPaulは「舞台に立つのが本当に大好きです!」と語る。内気で内向的と思われていた彼が、マイケル・ジャクソンのパフォーマンスで観客から熱い支持を得たことで、一時的ながらもPaulの社会的地位を向上させ、自信と喜びを得るなど、彼に強いポジティブな感情エネルギーをもたらした。これは、従業員への自己表現と成功の機会の提供が、感情エネルギーの生成に寄与することを示している。

自律性の尊重:主体的な顧客との関係構築

クラブメッドの従業員の多くは、顧客との関わりを経営陣から課せられた義務とは捉えていない。むしろ、彼らは「自らの選択」として積極的に関わっている。

案内係のLiseは「自分の好みに合わせて顧客を選びます」と証言する。Liseは、顧客がホテルに到着した時にタイプを見抜き、自分と相性の良い顧客に対して優先的に関わっていく自律性があったことで、より良い関係を築けたと話す。この自律性により、Liseは自身のスキルと判断力を最大限に活用し、顧客との交流からポジティブなエネルギーを得ることができたという。この証言は、従業員に一定の裁量権を与えることが、感情労働の負担を軽減し、同時にサービス品質を向上させる可能性があることを示している。

接客係のPiaは、「(ダンスショーに)参加する義務はない。自分の意思で参加しているんだ」と語る。子供の頃からダンスレッスンを受けていたPiaは、ステージに立つことを心から楽しみ、チームとの一体感を味わうことでエネルギーを得ている。この証言は、顧客との交流が従業員にとっても楽しみなものになりうる可能性があることを示している。従業員に自己実現の機会を提供することが、感情エネルギーの生成に大きく寄与するのだ。

元接客係のOndineは、「顧客と一緒に食事をすることが大好きで、それがクラブメッドで働く理由です」と話す。クラブメッドでは、従業員が顧客と一緒に食事をすることが伝統となっており、この慣習はフレンドリーさと社交性を重視するクラブメッドの文化を反映している。Ondineはこう続ける。「さまざまな人々と出会いますが、彼らから与えられるものはたくさんあります。みんなとてもおもしろく、時には気が合えば、同じ人たちと1週間を過ごすこともあります。私たちにとって、すべての人々と出会うことが素晴らしく豊かな経験なのです」。

クラブメッドの従業員は、通常の勤務時間外でも自発的に顧客との交流を楽しんでいる。彼らは、ショーの上演や顧客とのダンスなどの活動に自ら参加し、正規の仕事以外でも顧客との関わりを自ら求めている。クラブメッドには独特な文化があり、顧客との深い関係性を実現しているとされるが、それを生み出しているのはこのような自律的な関わりなのである。

サービス設計により従業員が疲弊しない企業文化を実現する

クラブメッドの従業員が自発的に顧客と関わりをもつのは、顧客との交流を好む従業員を採用しているからなのだろうか。決してそうではない。重要なポイントは、従業員が単なるサービス提供者として業務をこなすのではなく、顧客と対等な立場で、主体的に顧客と交流を持てるようにサービスを設計することにある、とCaylaらは指摘する。サービスの設計とは、顧客と従業員の双方にとって価値ある体験を創出するために、サービス提供の全プロセスを再考し、最適化することを意味する。そして、クラブメッドのような独特な文化を築くには、単なる現場レベルでの課題解決ではなく、感情エネルギーに着目した経営レベルでの関与が不可欠だ。


Caylaらは、経営介入のポイントとして次の3つを挙げている。これらは、従業員の「地位」と「自律性」の確保と密接にかかわっている。

・リズミカルな同調を作り出す

「リズミカルな同調」とは、同じイベントに参加している人々が協調した行動をとることによって起こる行動と感情の同期のことをいう。いわば、共通の体験を通じて、従業員と顧客の一体感を醸成するということ。これは単純に楽しいイベントを企画するということではなく、そこに感情的なつながりを生み出す仕掛けづくりを行うということである。

事例1:サウスウエスト航空の安全アナウンス
サウスウエスト航空は機内安全説明の際に、乗務員がユーモラスなアナウンスを行うことで知られている。これは顧客の緊張をほぐすと同時に、型にはまった業務に遊び心を加え、従業員の個性や創造性を発揮できる機会の提供につながっている。

事例2:英国のパブでのラストオーダー
英国のパブでは、ラストオーダーの時間になると、合図として店内にベルの音が鳴り響く。こうして一定の儀式をともに体験することで、従業員と顧客を含めたその場にいる全員が連帯感を抱き、特別な思い出を共有する。

事例3:高級な場所での親密な会話
ラグジュアリーな場所などでの会話も「リズミカルな同調」をもたらす。特別な空間での個々の顧客に合わせた丁寧なコミュニケーションは、顧客の満足度を高めるだけでなく、従業員自身がその顧客を重要視していることを改めて意識するとともに、顧客自身は重要な存在として認識されていると感じてもらうことにもつながる。


・サービス従事者の地位向上を通じて、自律性を生み出す

地位と自律性は、感情的なエネルギーを生み出す上で非常に重要な要素であるとはすでに述べたとおりだが、地位を一時的にでも高めることで、サービス従業員の自律性も高まることが確認されているという。さまざまな行動を義務化していくより、従業員が結果的に自主性に基づいて行動できるように配慮することが、感情エネルギーの活性化につながる。

・「顧客の社会化」を促進する

自社のサービスがどのようなものなのか、顧客にきちんと理解してもらうことも必要だ。ここでいう「顧客の社会化」とは、新しい顧客が企業のサービス文化や期待される行動様式を理解し、スムーズに受け入れられるようにすることを意味している。従業員の顧客に対するコミュニケーションの取り方も重要だが、顧客に企業の「作法」をきちんと理解してもらうことができれば、より快適にサービスを利用し、従業員とのやりとりも円滑に進めることができるようになる。

具体的には:
サービスの利用方法や企業の価値観を明確に伝えるオリエンテーションを実施したり、FAQやチュートリアル動画などを充実させることで、顧客が安心してサービスを利用できる環境を整えたりする。長期顧客がメンターになりうる環境をつくることで、新しい顧客は経験豊富な顧客から直接アドバイスやサポートを受けられ、より早く企業文化に馴染むことができるようにもなる。コミュニティフォーラムやSNSなどを活用して、顧客同士が交流できる場を設け、情報交換や相互サポートを促進することも有効だ。

特にクラブメッドの場合は、このようなサービス設計の取り組みがしっかりとなされていた、とCaylaらは指摘する。そのおかげで、従業員の感情労働による疲弊を軽減し、同時に顧客満足度を高めることに成功しているのだという。サービス設計の見直しは、単なる業務プロセスの改善にとどまるものではなく、従業員と顧客の関係性や企業文化全体を包括的に再考することにつながる。クラブメッドの事例は、そのことを示唆してくれている。


このようなサービス設計は、日本においては覚悟がいることだろう。しかし、サービス従業員の疲弊を解消して人材の継続的な確保を実現し、感情エネルギーの力をうまく活かして新たに質の高いサービス提供の目指すのであれば、従業員の地位と自律性への配慮は避けては通れない条件といえるだろう。

参考文献

  1. Cayla, J., & Auriacombe, B. (2025). Emotional Energy: When Customer Interactions Energize Service Employees. Journal of Marketing, 89(1), 1-18. https://doi.org/10.1177/00222429241260637
    クリエイティブコモンズ CC BY 4.0のもとライセンスされている参考文献を改変しています。 ↩︎

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